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創価擁護派の連中が書いてるブログなりコメントなりを見てみると、
論理というものが何もない。
しかしそれは当たり前の話で、
創価自体に論理というものがないのだから、
その創価を盲信狂信している擁護派の連中にも、
論理がないのは当たり前だと言えよう。

例えばこのブログ⇒http://hjk859420.xsrv.jp/


このブログ主、アンチブログに対して
「アンチ連の記事全ては「感情論」が中心中の中心である。
試しにどれでも良いのでアンチブログの記事を読んで見るがよい。
理屈、理論の「り」の字も感じられないはずだ」
と雲の上から見下すが如く、得意のドヤ顔風に書いていたものであり、
そして創価がいかに正しいか、
そして自分が書いてることがいかに論理性があり正しいかということを
自信満々にこれまたドヤ顔風に書いているのだが、
しかしそう言っている当人に全く論理性というものがないのである。
試しにこの井の中の蛙氏のブログを読んでみるがよい。
そこには、最初から創価は正しいという前提でしか書いてないということが解るだろう。
なぜ創価は正しいのかという理論も理屈も何もないのである。
創価は正しいんだから正しいんだと、理屈も理論もない単なる思い込みの感情とそれによる断定しか書いてないのである。
それは、このブログ主が少し前に対話型のアンチブログに殴り込みの書き込みをして、
言いたい放題言って逃げていった時も、
そのアンチブログのブログ主は、この創価擁護派の論理性も何もないメチャクチャな言いたい放題ぶりに呆れていたものだ。
アンチ側だけでなく、誰が読んでもこの井の中の蛙氏の主張には
論理性のないただの感情論しか見いだせないであろう。

このように創価擁護派連の主張というのは理論のないただの感情でしかないのである。
それに全く気づかないところがこの連中の救い難いところなのである。






2018/03/06(火) 03:29 ネット在住学会員 PERMALINK COM(0)
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